もう少し、笑福亭松之助にはまってみる。
年末年始に見た番組で予想外の収穫であった笑福亭松之助のドキュメントのインパクトが残っているのか、最近更新が滞っている笑福亭松之助のブログに遅ればせながらアクセスして、読んでいる。その中でもっとも心に引っかかったのが、12月27日のM−1に関する日記であった。
http://matsunosuke.laff.jp/blog/2008/12/post-a62b.html
松之助の日記は、一文一文が短いが、そこに色々なものが濃縮されているのだが、最初の一文が強烈であった。
M1大会といって漫才?の競技大会がありました。
出場人員はたしか4889人とかでしたが、本来漫才は競技するものではないと思うのです。
やれ、手数論だとか、島田紳助が紳竜の研究 [DVD]でM−1に勝つためのコツを語っているとか、そういった技術論やテクニック論が過剰に話題になっているのを「競技大会」というワンフレーズでまとめているのは松之助らしいと思った。
ただ、全体的には世間の持っているM−1感とは若干ズレがあって、違和感を感じてしまった。
それにこの出場者が漫才として十五分の舞台を勤めたのを見たことはありません。
もし優勝者だけが漫才として認められたら他の人たちは漫才ではないということになるのではありませんか。
失業です。
特に、「優勝者だけが漫才として認められたら」というのが一番違和感を感じた。あくまでも「この日一番面白い漫才をやった組を表彰してやろう」というコンセプトだし、優勝者以外が漫才ではない、失業という極論まで持っていったのは、あまりにもストイシズム過ぎるような気がしてならない。
もっと、重箱の隅的なツッコミを言えば、ABCお笑い新人グランプリや上方お笑い大賞、NHK新人演芸コンクールとかもM−1と同じ「競技大会」なのだろうか?もっと言えば「オンエアバトル」なんて競技大会の極致といえるし、それを本来とは違うと笑福亭松之助は思っているのか?という疑問を感じてしまう。
もっとも、そんな大層に感じていないのかも知れない。
なんでも競技にしてしまうテレビは自由な別世界なのでしょう。
最後の一文が「私はこういったもんは性には合わんが、ここで頑張ってる人もおるから、ええとしましょう」という心持ちを表現しているように見えてしまった。
でも、松之助ブログを見ている人はたくさんいるとおもうのだが、この件について言及しているHPとかは見た記憶がない。あまり、気に留める程の内容ではないと思った人が大半なのだろうか。
参照;M-1グランプリ感想の感想その15〜著名人・文化人・ブロガー編 - 昨日の風はどんなのだっけ?
M-1グランプリ感想の感想その16〜漫才師編 - 昨日の風はどんなのだっけ?
M-1グランプリ感想の感想その17〜著名人・文化人・ブロガーその2編 - 昨日の風はどんなのだっけ?