シンガポール1−2日本

とりあえず、今言えることは、日本のサッカーに「自由」という言葉は全く不必要であることがはっきりとわかった試合であった。そりゃボール支配率は日本が圧倒的に締めていたのは衆目の一致であろう。ただ、それは引きぎみに守りのシフトを敷いてカウンターでミラクルを狙うシンガポールのねらいであることも周知の事実である。そこを打開するためにどのようなプレーをしたいのかというのが、この試合の最大かつ唯一のポイントである。すくなくとも私の見た限りではそのてんでの意思統一というのは日本には無かった。アイコンタクトで何とか出来るというほど、サッカーのスキルは上がっていないし、そんなこと出来るのは、欧州のビッグクラブレベルのサッカーだし、ナショナルチームで言えば3Rやロベカルが絶好調でそろったときのブラジルくらいであろう。何とか打開しようと孤高に戦っている中田英寿や途中交代で必死に鼓舞していた藤田俊哉はまだいい。1点は取られたものの、今回もいくつものスーパーセーブで、ジーコの首をつなげてしまった(笑)楢崎正剛も及第点はあげられる。攻めりゃなんとかなるとオーバーラップオンリーで仕掛けた三都主加地亮、得点できなかったが基点になってなんとかしようと前線で動いていた鈴木俊行も、プレーそのものには注意したいが、まだ、なにかやろうとしていたという感じはある。はっきり言えば中村俊輔柳沢敦に関して言えば、シンガポールで観光ついでに、サッカーボールをこねくり回してりゃいいなという気持ちくらいにしか見えなかった。しかし、そんなばらばらなじょうたいを一つにまとめるような存在は今の日本にはまずいない。中田英寿も今現在、キャプテンシーというほどの統率力というのを持っていない。そこには「俺たちは何とか出来る実力を持っている」という慢心があるように思える。そうさせてしまったのがジーコの存在なのかもしれない。考えてみれば「黄金の中盤」と呼ばれていたブラジルも、82W杯ではFWの得点力不足と、オスカーとルイジーニョ二人でしかしていないディフェンスの限界でイタリアのカウンターに苦杯をなめたのである。FWの得点力不足とディフェンスラインの破綻、レベルの違いはあれどジーコが絡んだこの2チームに共通項があるように見えてしまってしょうがない。
とりあえず、ジーコにディフェンスを教えるのは無理であるから、早急にディフェンスコーチを招聘する必要があろう。ジーコのコネだったら限界かあるかもしれないが(苦笑)。それと、日本のサッカーは「システムできっちり固めたコンパクトなサッカー」というのをベースにするべきということを「自由」を高らかに謳い上げている人には再考してほしい。