小林信彦にはまる

ナンシー関没後、週刊朝日を読む機会は全くなくなってしまった。結局「小耳にはさもう」以外はさして面白い読み物は無かったという至極簡単な理由からだ(苦笑)。でも、「TV消灯時間」が無くなっても週刊文春は毎週欠かさずチェックしている。別に原色美女図鑑にも興味はなく、おすぎや中野翠の一言映画評も一時期に比べればキレはないし、清野徹のドッキリTV語録も、ちょっと論点がずれているし(苦笑)、堀井憲一郎のずんずん調査も好不調が激しい。近田春夫の考えるヒットもピンと来ない。では、何かというと小林信彦のコラム「人生は五十一から」にはまっているということである。小林信彦を意識して読み始めたのは文春で連載されていた「天才伝説横山やすし」からである。横山やすしを単に天才漫才師、孤高の暴れん坊という一般的なイメージだけでとらえることなく、客観的にやすきよ漫才や芸人横山やすしの虚実をとらえている視点。その中に垣間見える今の芸能に対する辛辣な批評。この人は何者か?と思っていたら、高田文夫吉田照美といったうるさ型が「この人の芸人に関するコメントにはとてもかなわない」と一億老いている存在で、文庫化された「日本の喜劇人」を読んで、この人の芸能評論を自分の分水嶺にしようと確信してしまうほど心酔してしまった。最近だと自分の関わった仕事から通したTVバラエティの盛衰を客観的にとらえた「TVの黄金時代」は秀逸である。私の中では、優しい文体でありながら実に辛辣に現代の日本文化を批判している姿は「物腰の柔らかい小言幸兵衛」といった感じでとらえている。それでいて結構関根勤ばりの「女人評論家(笑)」というのがお茶目でたまらないのでいる。小林信彦にとっての絶対的な存在は小泉今日子のようであるが、釈由美子や大塚寧々、上原多香子とお気に入りの女性タレントは幅広いようである。ちなみに白血病で倒れる前の吉井怜を「グラビアの存在感は秀逸」と評していたのには舌を巻いたほどである。小林信彦の1/10くらいの見聞は広めたいなぁと思っている今日この頃である。