サタデーナイトライブにまつわるエトセトラ

「サタデーナイトライブ(通称SNL)」という言葉には何とも言えない感情を持ってしまう。当然本家アメリカのサタデーナイトライブにおいて登場した数々のキャラクター、豪華なホスト陣、そして音楽ライブとしてのクオリティの高さ、そしてアメリカにおけるぶっちゃけ芸の凄みや時事性やそれに関する風刺のお洒落感は、アーカイブスのDVDも購入したくらいである。特に70年代のSNLのスーパースター、ジョン・ベルーシが特に好きだった。ダン・エイクロイドとコンビを組んでのブルース・ブラザーズも好きだが、エキセントリックなサムライ姿で刀を振り回したり、レイ・チャールズやジョー・コッカーと言った大物アーティストの憑依系物まねは、それこそトラウマ的な印象の強さであった。後はホストを務めたポール・サイモン七面鳥の着ぐるみを着ながら「時の流れに」をまじめに唄い、「オレはこんな着ぐるみを着るために出演したんじゃないんだぜ(苦笑)」とキレ芸を披露したりしたのも印象深い。エディ・マーフィとかオースティン・パワーズといった80年代以降はスケッチの部分に関しては興味は薄れてしまったが、シニート・オコーナーのローマ法王に関する「鬼畜の所行」なパフォーマンスや、最近ではジェシー・アイゼンバーグマーク・ザッカーバーグのアメリカ版「ご本人と一緒に」的パフォーマンスといった話題性は相変わらずな番組として注視している。この番組があったからこそ「サウスパーク」や「シンプソンズ」といった風刺の効いたアニメドラマも派生したと感じている。後はホストが多岐にわたっていると言うことも注目している。一番驚いたのがエレン・ペイジがホストを務めたと言うことである。日本で言えば鈴木杏蒼井優がMC的存在になることであるし、ある意味何でもありな番組なんだなと思ったりする。
当然、日本のバラエティにも影響はあった。というか、オレたちひょうきん族以降のフジテレビの80-90年代におけるバラエティ番組は明らかにSNLを意識したものであるのは言うまでもない。直接的ではないにせよ片岡飛鳥きくち伸の2人は「SNL」の熱に当たってしまった「SNLチルドレン」と言っても過言ではない。
そんな中で飛び込んできたのが「サタデーナイトライブ」日本版が6月より月一回放送されるというニュース。ある種本家からお墨付きを頂いたと言うことなのだが、そのキャストを聴いて「あれっ?」と正直感じてしまった。第1回のホストが岡村隆史、レギュラーキャストに明石家さんま今田耕司。これって結局、今までのCXバラエティの焼き直しであり、80-90年代における「楽しくなければテレビじゃない」イズムの郷愁のみしかない番組になるのでは、と懸念してしまった。そんな危惧を感じつつ見た昨日の放送。楽しんだ部分や面白いキャラクターはいたにはいた。だが、フジテレビバラエティ班の気合いが空回りとは言わないまでも視聴者との間に微妙な温度差があるなと思ってしまった内容であった。要するに、このシチュエーションで、この舞台設定による、このキャラクターによるコント、何度も見たことあるんですけどという既視感が前面に出てしまって、乗れそうで乗れなかったのが正直な感想である。とりわけ、以下の番組でやっていたコント(スケッチ)をブラッシュアップせず何の工夫もせずに埃をはたいただけでそのまんまだしたという気がしてならなかった。

後はオープニングにおける岡村隆史の「病気」に関するドキュメンタリー的スケッチからのオープニングトーク。これはある意味その病気における「バラエティ」番組の諸刃の剣的存在について自虐的なギャグでもあり、その「病気」を治療するサイドに対するこびを売りながらの皮肉として表現しようとしていたつもりなのかもしれないが、これは自分たちの首を絞めかねないことをやっているように見えて仕方なかった。こういったスケッチが出来るから岡村隆史は安心と思える部分はありつつも、また新たな岡村隆史的存在を作るかもと思ってしまった。というかSNLでやるよりも「さんまのまんま」で岡村が「さんま兄さん、実はこういった冊子があってバラエティ見るの怖なったんですよ」と言われ「ひゃーっ」とさんまがひき笑いするというトーク番組の中でのエピソードトークとして展開した方が良かったかもしれない。
オープニングを含めた5つのスケッチの中で良かったのは、渡辺直美演じるレディー・ガガならぬレディー・ブタ(笑)のスケッチである。渡辺直美のフィジカルの強さを見せつけたダンスパフォーマンスと今田耕司の通訳とのBUTAネタ、明石家さんまの監督とピース・又吉の助監督との知的な言葉のやりとりはベタだけど面白かった。その中で秀逸だったのが平成ノブシコブシ・徳井が演じた「メイクさん」の存在感。あの一ネタの破壊力は半端なかった。徳井健太の飄々としたキャラクターと、他のメンバーがお笑い怪獣明石家さんまの存在感に少し怯えた表情をしていたのに対し、我関せずと大道具さん的格好をしたメイクさんという役柄に憑依していたのはツボにはまってしまった。ただ、なぜ男性ダンサーの中で岡村隆史だけにだめ出しをしたのかという導入部が不自然だったこと、後半で他のダンサーにさんまがつっこみを入れたときの今田耕司岡村隆史がやった「素人ですからつっこまんといてください」という件に関しては大きなマイナスである。特に「素人ですから」フォローはあのスケッチそのものでは全く意味をなしていない、まさに明石家さんま=妥協をしないお笑い怪獣a.k.a舞台は戦場や!至上主義者という楽屋オチ的なものになってしまったのは勿体ないと思ってしまった。後、つっこまれたダンサーが明石家さんまにつっこまれたのが嬉しかったのか笑ってしまったのもいただけない。あそこは、あまりにも不条理なだめ出しに怒りレディー・ブタ(笑)に英語で監督のことを文句を言ってからの今田&渡辺のBUTAネタという流れの方が良かったと思う。
後はエンディングのニュースコントにおける古くささ&最後は懐かしの砲丸の美少年での観客いじりをはじめ、やはりSNLというより、CXバラエティオマージュの要素が強く出ていたように思えてならない。後、平井堅のライブパートは完全に番組を寸断してしまい、相乗効果やきくち伸いうところの音楽と笑いの融合が全く成立していなかったのも問題であった。
悪くはないんだけど、やはり今のTV制作の現状を浮き彫りにした番組という印象が強い。

この番組を見た後に小林信彦テレビの黄金時代 (文春文庫)を久々に読んでみたのだが、結局70-80年代におけるバラエティ番組再構築というか小林信彦目線で言うところのヴァラエティ番組の衰退と崩壊が、現在さらに拍車がかかりTVそのものがもがき苦しんでいるように感じてしまった。
その中で最後の方に「オレたちひょうきん族」に関する評があり、サタデーナイトライブと絡めて以下のような文章がある。

この辺りから、ぼくはビデオを録画しているが、当時、面白いと思ったものでも、今観ると再見に耐えない。明らかにアメリカの「サタデイ・ナイト・ライブ」(一九七五年〜・NBC)を参考にしており、あれはスタンダップ・コメディアンの寄せ集めだから、真似る方法としては悪くないのだが、フジテレビという局にヴァラエティの伝統がないことが大きなマイナスになった。
色物芸人でヴァラエティ番組が出来ることはすごくすくなく、まして関西の芸人ではとても無理である。騒々しい番組の最後にEPOのポップな歌声が流れると、ホッとしたのを覚えている。その瞬間にのみヴァラエティの本質が現出したのかも知れない
テレビの黄金時代 (文春文庫) p354

それとこの本に書かれている、バラエティとはナンだ?!という解答が凄く心に強く残っている。

<ヴァラエティ>とは、多様、なんでもあり、の意味である。<ヴァラエティ・ショウ>は、異質なものがぶつかることによって生じる面白さが狙いだ。
テレビの黄金時代 (文春文庫) p359

この言葉は正論なのではあるが、これが出来ない最大の要因として、ヴァラエティを作った小林信彦たちの世代が下の世代に真っ当にこの系譜を伝承しなかった、どうせ伝承出来っこないというちょっとした自尊心の高さが及ぼしたものであることを肝に銘じておきたい。

これを踏まえて言うと、やはり七月以降のサタデーナイトライブジャパンはホストが誰になるかと言うことが最大のポイントだと思う。バラエティ班ではない女優や男優、アーティストといった存在でやるべきであろう。吉高由里子仲里依紗と言ったチーム・アミューズ!!な女優陣、高良健吾松山ケンイチといった若手男優陣との心地よい違和感(byきくち伸)、伊武雅刀森本レオ、長塚京三といったくせ者なベテラン俳優との複雑怪奇なアンサンブル、ある意味三池崇史といった監督がいきなりキャスト陣に無茶ぶり演出をするというラインもあったりと、色々イマジネーションが湧く。