明石家さんまと石橋貴明(とんねるず) その共通点

一番の共通点は、最期に書くとして....

とんねるずって、「楽屋オチ」? とんねるず主義に対する私の答え

一文で言うならば「Yes!!off course!!」である(笑)ちょっと回りくどい表現になってしまうことをご了承願いたいが、「http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS」でも書いたのだが、とんねるずの一番の功績というのは、世間一般に「ギョーカイ」という世界の面白さを流布したことであり、その世界を説くキーワードとして「お約束」という言葉を用いて放送界並びに芸能界における暗黙のルールがあると言うことを広めたことだと思う。これを揶揄する場合「やらせ」と変換され、マスコミュニケーションは総攻撃を食らおうとしているのだが(苦笑)。とんねるずがこういったことを広めようとした根幹にあるのは、デビュー間もない頃にぶつかったその当時のTV局の権威とか偽善主義というものに対する嫌悪感から来るのではないかと推察する。表向きは「TV(芸能界)は夢を売る商売」とか美辞麗句を並べておきながら、裏では虚々実々の駆け引きや傲慢さをひけらかしている連中に対峙する手段として、懐刀に入りながら自ら分析し、それを誇張したり、茶化したりしてきたのである。逆に言えば、石橋貴明とかが仕事をしている石田弘とか港浩一というのは、そういったギョーカイの姿を隠すことなくおおっぴらに威風堂々と表現していたギョーカイ人であり、それが尊敬の念を抱かせたのかもしれない。だから、後輩芸人に結構きつい表現で対峙するのは「おまえらもさぁ、俺たちみたいに、しきたりとかお約束を通り過ぎて行かなきゃ、生き残っていけないよ!その後に掌返しすればいいんだからさ」というメッセージなのかもしれない。ある意味、自分たちが権威になってしまっていることを逆手にとって生きているくらいの戦略眼を石橋貴明は持っているような気がする。それを軽く眺めながら、オレ流のスタイルを通している木梨憲武というていではないだろうか
参照:とんねるずって、「楽屋オチ」? : とんねるず主義 - 昨日の風はどんなのだっけ?
   http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS/20050929/p1

明石家さんまは「お笑い怪獣」と呼ばれて喜んでいるか

表向きは「笑いの体現者」として喜んでいるように見えるかもしれないが、あくまでも「ネタ」としての一パフォーマンスに過ぎない、逆に本心で羨望され、畏敬の念を抱かれる状況に本人は困惑しているかもしれない、と最近感じている。前述したとんねるず以上に芸能界や放送界における権威とか威圧主義に嫌悪感を抱いていたのは明石家さんまだったかもしれない。笑福亭松之助という吉本興業の中では異端の存在にあった落語家(芸人)に支持師事しようとしたのもその表れだったかもしれない。若かりし頃島田紳助オール巨人といった仲間と吉本上層部と労使闘争よろしく、色々と待遇改善を求めていたりしたのもその一環だったかもしれない。ただ、とんねるず島田紳助みたいに、それを自分なりに分析し、対処していこうというスタイルではなく、そんなやつらとホンマは関わりたくない、好きな奴としか会いとうないという、拒絶反応を持っているように見える。だから、本当にいやなことをされたときの明石家さんまの目というのは本当に怖いのである。本人にとっては「オレの視界から消えてくれ!」という単なるわがまま、ダダの一つと思っているに過ぎないのだが、一部にとってはそれが「権威」に見えてしまい、恐怖におののいているのである。そう思われていることに「無自覚」な明石家さんまも問題だし、過剰に反応してしまう芸人(岡村隆史がその典型)も問題である。そのわがままさに嫌悪感を示し、本当に「視界から消えている」のがダウンタウンなのであろう。
参照:http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS/20031217/p1

二人の共通点

知る人ぞ知ることであるが、ニッポン放送の悪辣プロデューサー「宮本亭」ともめてしまい、ニッポン放送との関係が冷え切ったということである。二人が忌み嫌う、人の見ていないところで「権威」をひけらかす人間ともめた経験があるということである、ただ、石橋貴明はその後気心しれた仲間内と『宮本亭』を拒絶しつつ「レディオ・イシバシーノ(仮)」という番組をナイターオフの期間に番組を立ち上げたりしているのに対し、明石家さんまは全くLFには見向きもしていないという相違点はあるのだが...