イチローvs古畑任三郎

とりあえず、三谷幸喜、またしてもやってしまった(苦笑)といったところである。
この記事を見たとき、週刊文春に掲載している小林信彦のコラム「人生は五十一から」のある一文を思い出してしまった

年が改まって、テレビドラマ「古畑任三郎vsSMAP」を観た。(中略)視聴率のためとはいえ、SMAPをそのままの名前で出演させ、五人に殺人を犯させるのは、SMAPファンの女の子のみならず、視聴者に対する裏切りである。才人といわれる三谷幸喜にもあるまじき計算違いであった。ドラマの出来も問題だが、ぼくはそれ以前の設定が気になった。往年のビートルズ映画を持ち出すまでもなく、実名で出てきたビートルズは必ず被害者である。彼らが加害者を演じたら、観客は背を向けたであろう。(中略)しかし、ドラマは五人が裁判にかけられるという終わり方になった。正月なのに無神経きわまる。しかも、次のようなテロップが出た。
古畑任三郎が架空の存在であるように、劇中のSMAPも架空のSMAPです>
なんじゃ、こりゃ!詭弁もいいところだが、どこがインチキか、小学生にでも指摘させるといい
(「最良の日、最悪の日 人生は五十一から〈2〉 (文春文庫)」年頭風景・1999より)

実際、三谷幸喜的なギミックなのかもしれないが、これを演技の素人であるイチローにやらせてしまうのは、非常に危険な賭けである。もっとも、「古畑任三郎」に関しては、色々と推理やトリックの稚拙さや田村正和のデフォルメされた演技に付いては批判が噴出している過去があるだけに、また、三谷幸喜バッシングが展開されるのが目に浮かんでしまう。