半生記(はてなダイアリー版)

前にtdiaryでも、書いたのだが、自分の誕生日ということもあるので、ここで改めて...

1970年7月27日生まれ

「今日で33、知っとるけ〜のけ」!(by明石家さんま)です(爆)
私が自己紹介するときよく使うのが「ナイナイの岡村や永作博美と同い年です」というフレーズ。この2人には妙に「同い年」ということでシンパシーを感じてしまうのである。スポーツ選手は「ベテラン」として扱われ現役引退後のことを考えなくてはいけない年齢。しかし、自分の働いている会社では二番目に若い年齢で「若手」として扱われている年齢。そんな「中途半端やな〜」(byちゃらんぽらん)な今の年齢である(笑)。

水着グラビアフリーク」としてのREDDEVILS(爆)

はっきり言って、3度の飯より好きなものの一つである(核爆)。どこがどう好きかと説明するのは難しいのであるが、男としての「本能」から来るものかと勝手に思っている(自爆)。
私が最初にインパクトを受けた水着グラビアというのは、小学生の時に見た河合奈保子柏原芳恵(当時よしえ)のビキニの写真。今でこそ「巨乳」だとか「ダイナマイトボディ」とかの形容があるのだが、この2人に関しては「ボイン」という形容しか当時はなかったように思う。2人の、ビキニの水着からこぼれ落ちそうなはち切れんばかりのたわわな胸の大きさに、子供心は多いにくすぐられたのである(^^;。河合奈保子の場合は自分の胸の大きさに自覚がなかったのか物怖じしない笑顔を振りまいた水着グラビアが多く「健康的」という印象を持つ。対して柏原芳恵の方は河合奈保子のような弾けんとばかりの笑顔というより、はにかんだ少し照れた感じの表情という印象を持つ。それが「大人の色気」を漂わせており、河合奈保子よりも彼女の方が好きだった記憶がある。しかし、当時14〜16歳頃の柏原よしえに「大人の色気」をかんじた小学生っていかがなものか?(苦笑)そして、黄金の82年組の中では、小泉今日子の水着グラビアの印象も強い。水着になったら彼女「ダイナマイトボディ」炸裂だったのに驚き、そして、結構きわどい水着を着用してのグラビアがインパクトがあった印象がある。同じように、水着になったら「ダイナマイトボディ」というタイプのアイドルだった今は亡き岡田有希子の水着グラビアも非常に印象が強い。
ちなみに、私はアイドル=グラビアという図式でずっと見ていたので、アイドルの歌には余り興味を示さなかった。小・中・高校生正にリアルタイムで見ていた「ザ・ベストテン」でも松田聖子中森明菜田原俊彦近藤真彦といったアイドル勢よりも、ツイスト、サザンオールスターズ、寺尾聡、チャゲ&飛鳥石川優子アルフィーといったニューミュージック系の音楽を聴いて楽しんでいた方である。そんな状況になった最大の要因が、小学校5・6年の小学校生活。ともかく「アンチ・アイドル」「アイドルの歌・亡国論」「アイドルの歌を聴いただけで、体調を崩してしまう」(苦笑)と松田聖子田原俊彦の歌を聴いただけで白い目で見られてしまう雰囲気だったのである。考えてみれば当時からユーミン来生たかお等、ニューミュージック系のアーティストが提供した楽曲を歌っていたのだから何とも矛盾する話であるのだが...もしかしたら、自分たちの好きなアーティストの曲をあんなに下手に歌いやがってという気持ちがあったのかもしれない。
で、、「水着グラビアフリーク」として、完全に不動の状態(笑)になってしまったのが、92年よりフジテレビが実施している「ビジュアルクイーン」の出現である。92年(高橋梨華。寺田光希稲尾律子)の時は関してはあまり興味を示さなかったのだが、93年(内田有紀遠野舞子青木美津子、田中広子、遠藤美佐子)の時には、遠野舞子に最初は興味はあったのだが、ビデオを見て遠藤美佐子のスタイルの良さと白いビキニ姿に好印象を持ってしまうという「水着グラビアフリーク」の片鱗が出始めてきたのである(笑)。そして、94年(雛形あきこ吉野公佳木内あきら稲森いずみ)で完全に「三度の飯より、水着グラビア」状態になってしまったのである。とくに伝説化している雛形あきこのダイナマイトボディ炸裂なビキニ姿と、吉野公佳のスタイルの良さとエキゾチックな色気漂う水着姿には本当に参ってしまったのである。本当に罪作りなのは雛形あきこ吉野公佳の2人である(爆)。その後は鮎川なおみ三津谷葉子だとか胸をゆさゆさ揺らしたビキニ姿とか、幻のヒモパンビキニを2001年に見せてくれた椎名法子とかが過去のVQではいんぱくとがあった。そんなわくわく感がない2003年。本当に物足りない夏の一時である。
もう一人、インパクトを受けたのが奥菜恵である。あまり、水着グラビアをやる印象を受けなかった彼女が、ファースト写真集「meg now」で披露したビキニグラビアは本当に「脱いだら結構ダイナマイトボディ」という意外性もあって、かなりインパクトを受けたものである。当然、これ以降の奥菜恵の水着写真集は購入し、事実上のラスト水着写真集「南太平洋楽園夢絵巻」は彼女の水着グラビアの集大成といった感じの傑作で、いままで購入した写真集で不動のNo.1favorite写真集である。
で、、今のところは13歳なのにわがままな胸を持っている(爆)桐村萌絵とか、瀬戸早妃に興味があるものの、インパクトのある子は存在しない現況である。

「スポーツフリーク」としてのREDDEVILS

私は、幼稚園の頃から、野球やサッカー、バレーボール、バスケットボール、ラグビー、相撲、プロレス、ボクシング、オリンピックに競馬etc.なんでも見ていたスポーツDDでもある(笑)。しかし、実際やってみるとからっきし駄目で典型的な「頭でっかちな」スポーツフリークである(笑)。小〜中学校時代、サッカーをやっていたのだが、タックルで相手にぶつかって止めることしかできない、たちの悪いディフェンダーだった。本当に相手チームからは白い目で見られていたのである(苦笑)。
私は生まれて32年間、小平市に住んでいるので、野球に関しては80年に福岡から所沢にフランチャイズを変えて以来の西武ライオンズファンである。そうしてみるともう20年以上「はっきり言ってライオンズびいき」なのである。今でこそ常勝球団のライオンズであるが、最初の頃はもうひどいのなんの(^^;所沢移転1年目の時は開幕12連敗という派手なことをやってのけたのである。当時は田淵幸一野村克也山崎裕之とお払い箱にされたベテラン選手や、打てない守れない外国人(マルーフ、ミューサー)が集まり本当に「トホホ」な球団だった。そんなチームが広岡達朗のもとで日本一になったときは、西友の安売りセールが始まることもあって心底喜んだものである。そして、森祇晶率いて、清原、秋山、石毛、辻、渡辺久信、工藤、郭、ときら星輝く選手がいた80年代後半〜90年代前半の「黄金時代」の時は、本当に他の5球団には申し訳ないという想いでいっぱいだった(笑)。その後根本陸夫ヘッドハンティングや石毛、工藤、秋山の移籍といったダイエー勢力の逆襲にあったものの、松井稼頭央カブレラ、台湾勢投手陣といった選手の出現で今も強豪球団として頑張っている。特に今年は松坂大輔がいなくてここまで勝ててしまっているわけだから、本当に他の5球団には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
サッカーについては、もっぱらワールドサッカーを中心に見ていた。子供の頃の記憶として残っているのは78年のアルゼンチン大会での決勝戦。グラウンドが舞っていた紙吹雪だらけだった中でプレーをしていたマリオ・ケンペスの姿がなぜか小学生だった私の目に焼き付いていた。82年のスペイン大会はブラジルの黄金の中盤や若かりし頃の倒れ込まないマラドーナ(笑)、そして、劇的な試合展開だったドイツVSフランス戦を見て楽しんでいたりした。86年はマラドーナプラティニのちょっと肉付きの良い姿に少しがっかりしたものの、数々の伝説的なプレーに堪能していた。そして、クラブサッカーにまで興味を示したのは、80年代後半から90年代前半にかけて出現したACミランの「オランダトライアングル(フリットファンバステンライカールト)」の登場や伝説かつ幻のチームレッドスターベオグラードであった。当然、トヨタカップは毎年楽しみに見ていたし、日本は一生こっちの世界とは別次元にいると思っていた。まぁ、いまも日本サッカー界は別次元の世界にいると思っているのだが...
そんな私にとっての「REDDEVILS」マンチェスターユナイテッドの出会いは、今から10年ほど前、まだNHK・BSで「プレミアリーグ」が放送されていた頃であった。その時放送されたのが「マンチェスターユナイテッドVSQPR」という今では到底考えられないカード。その時7番をつけていた胸板の厚い、威圧感を放ちながら強引にまでアタックを仕掛けてくる選手を見て思わず凄い奴だなと感じて気に入ってしまったのである。彼の名前はエリック・カントナ。そして、ゴールマウスに立ちはだかる冷静沈着なゴールキーパーの姿にも惚れ込んでしまったのである。の選手が当時世界最高のGKと言われていたピーター・シュマイケル。この2人をみて「REDDEVILS」のファンになったのである。それ以来、ライアン・ギグスやネヴィル兄弟、スコールズといった選手を注目しながらマンチェスターユナイテッドがビッグクラブに成り上がっていく姿を見てきている。ちなみに、デビッド・ベッカムというのは、ちょっと苦手である。確かにフリーキックアーリークロス、スワーブといったクロスボールの種類の豊富さというのは絶賛に値するのだが、なんかそれ以上にチヤホヤされすぎているのが鼻持ちならないという印象を持つ。「中途半端やな〜」な年齢の男がやきもちを焼いても仕方ないのであるが(笑)。そんなデビット・ベッカムレアル・マドリードで通用するかどうかはやはり、前線の2人(ラウール&ロナウド)と波長が合うかということが最大のポイントだと思う。絶対、ベッカムは2人に気遣いをしたクロスボールは打たないだろうから、無理矢理自分のスタイルに服従させることが出来るかどうかベッカムの真の実力が試されることだろう。
 他にも、前田日明のことやナリタブライアン東芝府中ラグビー部など色々と書きたいのだが、枚挙にいとまがないのでスポーツの話はこれぐらいにしておきます(スポーツDD爆)

  • 「バラエティフリーク」としてのREDDEVILS

やはり私にとっては、「バラエティ番組=フジテレビ」というイメージが強く典型的な「フジッ子」視聴者であった。
ダウンタウンウッチャンナンチャンが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃にやった「夢で逢えたら」や「ひょうきん族」なんかはどんなネタが出てくるか放送前から楽しみにしていたし、「ウンナンやるならやらねば」ではパロディの面白さを教えてもらった気がしている。そして、「夕焼けニャンニャン」について言えば、おニャン子クラブを見たいという目的は2番目で(笑)、一番の目的はとんねるずが生本番で一般素人を相手に何をしでかすかいう方が凄く注目してみていた。実際、素人が石橋貴明の衣装にケチャップをつけてしまい、番組と同時進行に観客ととんねるず夕ニャンスタッフによる緊急ミーティングは本当に息をのんで見ていたし、「おいにいー」とふざけ半分につっこんでいた立見里歌内海和子にマジギレされてしまい、石橋貴明もそれに逆ギレし放送が収拾不可能になってしまったことなど、ハプニングのエピソードはつきない番組であり、芸能界の縮図も見られたこともあって結構それを楽しんでいた。
そんな中でも、一番楽しんで見ていたし影響を多く受けたのが明石家さんまである。この人からは「フリートークの面白さ」や「人や物事を茶化すことの楽しさ」、そして「自分を卑下しながらそれを笑いに持っていくすごみ」というものを見させてもらい本当に楽しませてもらっている。私の中では「笑っていいとも」でやっていた「日本一のサイテー男」は増刊号だけでは物足りなく、毎週金曜日ビデオで録ってどんなオモロイ話をするか楽しみにしていた。今の「笑っていいとも」のゆるゆるなまったりとした雰囲気とは違い、当時のいいともは結構ハプニングせいの強い生番組としての緊迫感も多少なりとも残っていたのでそれも楽しみであった。しかし、1時間番組の大半をタモリ明石家さんまの「フリートーク」という他愛の無い話で持たせていたのは改めて凄いと思う。もう一つ明石家さんまの面白さを体感できたのが「ラジオ番組」。大半が明石家さんまの身の回りで起こった面白い出来事をトークするだけなのだが、本当にこの人は「喋りっぱなし老人」になってしまうんだろうなぁと思えてしまい、それでいて起承転結がはっきりしてわらいっぱなしであった。49歳になっても、いまだ若手タレントに目ん玉ひんむいてライバル意識をむき出しにして攻めまくる、大人げない明石家さんま、そんな姿がさんまフリークとしては結構面白く見ている。ただ、古館伊知郎同様、寄る年波には勝てないのか、最近の明石家さんまのしゃべりには、どうもキレがないというかなあなあ感が漂っていてしょうがない。やはり、勝手にぼけて勝手にうんちくを傾けて、気ままな感じで仕事をやっているタモリの方がすごいと言うことなのだろうか