FULL TIME オーストラリア3−1日本

はっきり言えば、ヒディングのプランニングに、ものも見事に嵌められてしまったというところであろう。
ヒディングのプランニングは、

  1. 後半、先にばてるのは、自分たち(オーストラリア)である
  2. それなら、先手で交替選手のカードを切ってリフレッシュさせる
  3. それも、前線で体を張ったプレーのできる選手が切り札になる。日本のディフェンスも、最終的にはばてるだろうし、ジーコの今までの戦略?からすれば、宮本、中沢、坪井に全件委任だろうから、最後の10分間は、完全にパワープレーで押し切ることが可能だ(坪井が戦線離脱して、茂庭になったのは、想定外だったから、エンジンがかかったのはラスト5分とずれてしまったかもしれない)
  4. カウンターを仕掛けられたとしても、高原と柳沢だったらゴールは奪えない。中田英寿や福西のミドルシュートの精度も低い。中村俊輔をつぶすことだけをディフェンスには専念をさせる。
  5. 後は、川口能活のネ申がかりなプレーを先に出させて、運を使い果たさせる

そう言ったプランニングに対し、日本は...

  1. ......とりあえず、自分たちで考える(爆)
  2. 現状のフィジカルの能力では、ガス欠になってしまう。

と言うのが関の山である。
ただ、フランスで「惨敗」した時よりは求められるものは遙かに高いレベルである。結局、そこまで伸び切れていないのは、日本全体の問題である。
日本のスポーツ並びに、ひいては文化、国家全体の問題は「少子化」「教育無策」「移民問題」というのが大きな壁となって表れてくると言うのが、私の最近感じるところである。ちょっと大げさになってしまったが(苦笑)、とくに「教育問題」に関して、あまりの無策ぶりは、自戒の念を込めてしっかりと対峙すべきことかなと思っている。